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烏野猛

Author:烏野猛
介護事故裁判やリスクマネジメントの講演には定評があり、これからの社会保障や、社会福祉をめぐる「年金」「医療」「介護」の将来予測については、全国からの講演依頼があとを絶たない若手研究者。
2000年の介護保険制度導入後、介護業界での規制緩和に対抗するスタイルで福祉リスクマネジメント研究所を設立。「社会保障法」「社会福祉法制」の専門家であり、「福祉・介護」と「法律」の両方がわかる研究者。

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それぞれの旅路に…

イチローの引退の余韻に浸っている数日ですが、やはり彼の引退会見は他のスポーツマンの引退会見とまったく違っていましたね。
涙の会見が当たり前かと思っていましたが、彼の会見に見習いたいものを感じました。

彼の会見で印象深かった言葉です。

「言葉にして表現するということは、目標に近づく一つの方法ではないかと思います。」


有言実行、とはよく言いますが、そうやって自分をある程度追い詰めていくことで、限界を少しだけ超えられるのかもしれません。

よく、講演等でも、「説明責任」や「リスクコミュニケーション」という表現で皆さんを鼓舞することはありましたが、やはりそうなんでしょうね。
言葉にして表現する、ということは、どの言葉を使うか、その言葉が適切であるのか、他の言葉や表現はないのか、を思い巡らせ、自分の気持ちや感情に最も合った言葉を発する、また綴る、ということですからね。

言葉の大切さ、コミュニケーションのとり方、質問への対応方法等、非常に勉強になったイチローの会見でした。

そして、あらためて、引き際の時期やタイミングの潔さ、感謝の念の伝え方を学ばせて頂きました。

何かに限界を感じた時、潔さを是とするのか、執念深さで再起を賭けるのを是とするのか…、人それぞれの引き際がありますね。

可能であれば、私は、イチローに見習って、笑顔で最後を締めくくりたいと思っていますし、引退後は、まったく違うことを一からはじめてみたいと思っています。

イチローの引退…

やはり今日の最大のニュースは、イチローの引退発表でしょうね。
この時期、つまり3月末ともなりますと、去る人の送別会、そして来月は入ってくる人の歓迎会が続くわけです。
合わせて、歓送迎会とする職場も多いですが、去る人への思い入れが強ければ強いほど、残る者は最大の送別会をしたくなるのが常なんでしょう。

「潔さ」といいますか、「去り際」といいますか、以前にも、尊敬してやまない上岡龍太郎氏の去り際が天晴(あっぱれ)、と何度かブログにも書かせて頂きました。

私も50を過ぎてしまい、公然とオッサンを自認する立場でありますので、「-定年まで、あと何年…」、「あと何年間、この生活が続けられるだろうか…」と、おしりを決めた生き方や考え方を意識するようになってきました。

ただ、「この10年は、酸いも甘いも、上も下も、右も左も経験済みですので、絶好調でいける…!!!」とは、思っていますが、人生100年時代です。
人間としての分別がつき、いい大人になるのは、きっと80歳くらいなんでしょうね…。

さて、私の話なんかよりもイチローの話です。

それほど野球が好きではない私でも、イチローの尊敬するところ…、それは、マリナーズで長く頑張ってきたことです。
途中、ヤンキースやマーリンズに移籍することはありましたが、マリナーズに席を戻し、最初と最後はマリナーズで、というのは、これまた天晴なことでしょう。

あと数日で、4月を迎え、新入社員を含め、踊る場所を変えて新たな一歩を歩みだす方も多い頃でしょう。

一つの職場で長くいる、というのは、転職が当たり前になり、副業さえも認められる昨今ではあるものの、これは美徳でもあります。

さて、これからもオッサンパワー炸裂で、今日も頑張っていきたいと思います。

1300キロの巡礼を終えて…

昨日の2時46分は、福島県南相馬市の追悼会場で手を合わせることができました。
第一原発近くを車で走らせながら、物理的に8年前のあのままが残されているのは、放射線量の高いこのあたりだけだろうな、と思いました。

今年は、山形空港からレンタカーで宮城県、気仙沼、大船渡、岩手の大槌、山田まで足を運び、そのまま福島南相馬まで南下。
その地、その地で8年前からの仲間と合流、意見交換や変わらぬ友情を温めながら、いまから名古屋に戻ります。

レンタカーのメーターを確認すると、1321キロでした。

東北の皆さんの笑顔と握手をした時の温かさ、そして力強さから、いつも私の方が力と勇気を与えられます。
その力と勇気が、明日からの覚悟と強さをもって前に進んでもいいんだ、と強く背中を押してくれるんです。

皆が、今日のこの前日に戻りたいと思っていた…

明日で、東日本大震災からまる8年、9回忌です。
先週から東北での追悼行事の参加のため、毎年のことながらお邪魔しております。

8年前のあの日から数日後にプライベートで馳せ参じました。
何もできないのは分かっていましたが、居ても立ってもいられなくなったからです。日頃、介護事故を含めた介護施設系のリスクを説いていながら、最大の危機である自然災害時に、それも経験した阪神淡路大震災をはるかに上回る規模であることが想像できたものですから、すぐに足が向かいました。

その後、委員長という立場でお盆明けから調査をする機会を与えて頂きました。遺族の方にとっては、初盆を過ぎなければ、私もズカズカと踏み込んだことをお聞きすることが躊躇われたからです。

「-命がけの仕事をしよう…」、と心に決めたお仕事でした。
あれから8年が経ちました…。

愛する人を亡くした方々は、8年前の今日、そうです。大震災の前の日である3月10日の今日に戻りたいと、どれだけ思っていた事か…。
今日も東北をまわり、明日のあの時間は、福島県南相馬市で手を合わせたいと思っています。
「-10年間はずっとこの日には東北にいる…」と決めておりましたが、命ある限りこの日を東北で過ごしたいと思っています。
皆さんの分も、東北の地で手を合わせて参りますね。

8年前のあの時の出来事が、もしなかったとしたら…

東日本大震災から、まる8年が経とうとしています。
東北では、9回忌ということになります。

「―もし、8年前の3月11日、宮城県沖で大地震が起こっていなければ、日本は、世界はどうなっていただろうか…?」

あの震災を経験し、また愛する家族を亡くされた方の視点からみると、人生そのものが、そう、生きるということそのものが大きく変わった時間であったと思います。

ですが、あの時の震災をテレビやニュースでしか認識できなかった人にとってみれば、日々変わらぬ日常をどうこなすか、ということばかりに追われて、あの大震災があってもなくても変わりのないこの8年だったかもしれません。

先日、政府の見解として発表されましたように、宮城県沖でマグニチュード7クラスの巨大地震が発生する確率は、この30年以内に90%とか…。また、南海・東南海沖地震も、この30年以内に大地震がくる確率は80%以上とか…。

この2つの地震が同時に発生した場合、つまり、東日本と東海エリアとで同時に巨大地震に襲われた場合、日本は終わると思います。73年前のあの時と同様、ゼロからの、いやマイナスからのスタート地点に立っての国造りとなるはずです。

東日本大震災時の東北では、いまあるモノ、持っているモノすべてが役に立たなかった状況をまざまざと見せつけられ、それを教訓として生きてきた8年だったように思います。

さて、東北の地で手を合わせながら、続けばいいな、と淡い期待を胸に、新年度に向けた底知れぬパワーをもらいに行って参ります。