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烏野猛

Author:烏野猛
介護事故裁判やリスクマネジメントの講演には定評があり、これからの社会保障や、社会福祉をめぐる「年金」「医療」「介護」の将来予測については、全国からの講演依頼があとを絶たない若手研究者。
2000年の介護保険制度導入後、介護業界での規制緩和に対抗するスタイルで福祉リスクマネジメント研究所を設立。「社会保障法」「社会福祉法制」の専門家であり、「福祉・介護」と「法律」の両方がわかる研究者。

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『災害時における特別養護老人ホームのリスクマネジメント報告書』完成…!!!

 昨年から厚労省の研究助成事業で取り組んできました「災害時における特別養護老人ホームのリスクマネジメント調査研究事業報告書」が完成し、事務局から宅急便で届きました。

 オヤジのことでメソメソしていた一週間でしたから、ほんの少しだけ仕事モードに入ることができましたね。

 報告書の最後の部分の「おわりに」の原稿です。
 この部分では、主観的な感情も委員長特権(?)で許してもらえました…!!! 

 少し長くなりますが、時間のある方はお付き合いください。

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おわりに  「――無数の溺死体が散乱……」
 私が、一年前に起きた東日本を襲った大惨事を知ったのは、関西での講演の最中だった。大したことはない揺れであったが、立ちくらみのような感覚と、そこにいた聴衆の皆も同じように思ったようだったが、檀上の幕がゆっくりと揺れていることから、地震であることが分かった。その帰り、高速道路で東海地方に向かう車の中のラジオでは、ヘリで上空からの情報だと思われたが、「―荒浜海岸に、無数の溺死体が散乱…」という一報が入ってきた。

 その前の年の秋から暮れにかけて、東北での仕事が多かった私は、仙台市若林区荒浜海岸、陸前高田、気仙沼、宮古、名取、そして福島県…すべてが聞き覚えのある地名であったことから、そこで働く介護職員や管理者の顔が真っ先に浮かんだ。
 ラジオからの情報だけで、当時は全貌がつかめていなかったので、「―無数…」、「―散乱…」という言葉に、人に対して使う表現ではないことに苛立ちを覚えながら自宅に戻り、テレビをつけた時の衝撃と動揺は、いまでも忘れられない。

 高齢者施設での危機管理を専門とする私にとって、今回の調査研究事業では大きな責任を感じながら調査団の委員長としての役を仰せつかり、「―無数の…」、「―散乱…」ではない高齢者や介護職員、地域住民を含む「個々の生活」からの視点に重きをおいたリスクマネジメント調査を行った。言い換えるなら、そこで生活する一人ひとりの悲しみに向き合った仕事であった。

 本調査研究事業では、防災マニュアルや避難訓練もしていたであろう、被災した高齢者施設のリスクの洗い出しと、被災した施設から受け入れを期待された高齢者事業所のリスク、そして職員のメンタルケアにかかる特殊性や広域での県をまたいだ防災協定の機能の有効性を整理し、さらに被災もしておらず、また受け入れもしていないが、今後、大地震に見舞われた際に甚大な害を被るであろう三ヶ所の施設に対してのマニュアルの効果測定等、多岐にわたる課題ではあったものの、災害リスクに対して連続性のある視点から分析を行った。

 そのねらいは、首都直下型なのか、東海地方での三連動とも四連動ともいわれる次なる大災害に備えるものであったが、震災後一年を経過し、被災地を鳥瞰しただけでも、復興どころか、大災害への完璧なる備えは難しいことが私個人としてわかった。

 しかし、甚大な被害と損害をわが国に与えた今回の大地震から、永遠に忘れてはいけないことと、少なくとも我々が学び、次なる試練に直面した際の最低限の備えは、本調査研究事業から明らかになったように思える。
 以下、本調査研究事業から分かったことを整理したい。

 被災した高齢者施設から学び得たこととしては、介護保険制度上でいう保険者のみならず、各県を含めた自治体が震災直後ほとんど機能せず、法人というよりは個々の施設が三日から一週間程度、外部からの救援もなく耐えなければならない、といった点である。

 つまり、あれだけの大震災に見舞われれば、「誰も助けてはくれず、何もしてくれない」ことを前提とした、施設個々のリスクマネジメントが必要であるということだ。
 現に宮城県では、被災直後、各特別養護老人ホームの施設長以下管理者を集めた総会(ブロック大会)が午後2時から仙台市内で行われていた事実がある。言い換えれば、被災直後の施設には指揮監督をするトップが不在である施設が多かったなか、経験したことのないあれだけの地震のため、短時間のうちに大津波が直撃することを直感的に予測した介護職員の次なる行動には、「誰かの指示で」という過去の防災マニュアルでは計り知れなかったような状況であったことが確認できた。すなわち、現場にいた各フロアー個々の職員による判断が、明暗を分けたということである。

 これまでの防災マニュアルや避難マニュアルでは想定していなかった規模の災害に対し、マニュアル通りではなくマニュアルを超えた瞬時の判断を、どう職員がとれたのか。
このことについては、宮城県石巻市にある幼稚園の送迎バスがあの時の津波に巻き込まれ、4~6歳の園児5人が亡くなった事故で、高台にある園から地震直後、海沿いにバスを走らせた対応などに問題があったとして、遺族が園を運営する法人に対して損害賠償を求めた例と比較しながら考えてみたい。おそらく震災犠牲者の遺族が、法人の管理責任をめぐって訴訟を起こす初めてのケースであろうと思われるが、この事例は、今後の高齢者施設における安全配慮義務との関係でも参考になると思われる。

 遺族側訴えの内容は、大津波警報が発令されていたにもかかわらず、幼稚園内で待機しなかったことや、避難に対しても適切な誘導をしなかったことについての過失責任をめぐるものである。幼稚園を運営する法人側は、あのような町全体を破壊するような津波の予測は不可能であり法的責任はないと主張している。
 裁判での争い方にもよるが、おそらく遺族側とすれば「同じように津波の被害があった同じような立地条件の幼稚園であっても、被害を最小限に止めた園もある」といった他法人との比較から、日ごろからのリスクマネジメントのありようが争点になるであろう。

 以上のような視点では、被災の規模、種類、また施設の立地条件などの違いを考慮したとしても、近隣にある高齢者施設同士でありながら、利用者・職員に多くの死亡者を出した施設と、間一髪で被害を最小限度に抑えた施設とがあるのも事実である。
 結果としてこの園児をめぐる裁判では、今回でしか使えない表現ではあろうが、想定外、未曾有の災害であったことから、仮に法人責任者やその時に居合せた者の判断に誤りがあったとしても、法的責任まで問うことは難しく違法性はないと考えられる。
 しかし今後、東海をはじめとした東海・東南海・南海の三連動地震や、東京でも直下型地震が予想されるなか、次の大災害では「未曾有の…」や「想定外の…」ではなく、「予測できた想定内の出来事」になるという事実が横たわっている。それは、「東日本で起きた大災害をどう教訓として、施設として取り組み、想定されるリスクについての整理と実行可能性があるものにまで論議し訓練してきたのか」、が問われることを意味している。
非常事態に備えるということは、なにも建物の補強や備蓄品の見直しといった、ハード面や物資面の強化という側面からの取り組みだけではない。

 阪神・淡路大震災の際にも、また新潟県中越沖地震の際にも感じたことであるが、「大災害を含めた非常時のリスクヘッジは、平時のリスクマネジメントの応用」であることだけは確かである。

 つまり、介護事故におけるリスクマネジメントに引きつけて考えても、平素からのヒヤリ・ハッと報告書の作成、そのフィードバック、利用者の「アセスメント票」と「ケアプラン」そして「実施記録」との整合性を図っておくこと、といった平時からの地道でかつ基本的な取り組み、言い換えるならリスクという視点から根拠を明確にした介護のあり方が、緊急時・非常時の際に奏功するということである。
 「なぜ、記録の書き方や、ヒヤリ・ハッと報告書の工夫が、災害時の非常事態にも役立つのか…」
 それは、介護事業を営む法人の経営層だけではなく、そこで働く管理者や新人である介護職員であったとしても、日ごろからどうリスクを認識しているのか、といった「個々の業務に対する根拠」をたえず確認できているか、を問う視点でもある。

 人命と尊厳を預かる高齢者施設で働く者にとって、大災害を含めた非常事態に対し、何を優先順位におき、その優先順位に沿って誰がどう行動するのか、についての感覚としての慣れが必要になる。
当然、今回のような大災害時においては、超法規的な行動も求められ、マニュアルとは180度違う対応が必要な場合も想定される。しかし、超法規的な対応をとる場合においても、またマニュアルとは異なる行動をとる場合においても、「行為・行動の根拠を考え、かつ説明できる習慣」を日ごろの業務の中から認識のレベルにまで落とし込んでおかなければ、非常事態の際の判断が鈍り、判断の根拠についても曖昧なままでの行動が最も大きなリスクとして現れることを、過去の大災害だけではなく今回の調査によっても証明された事実である。

 しかし、今回の東日本大災害は地震、津波の規模も数百年、数千年に一度という大きな天災の要素と、福島県の原子力発電所の事故による放射能災害といった人災を含むものであるため、過去の災害対策事例の特徴とマニュアル等が参考になる要素は少ないものの、従来までの災害対策への取り組みの限界や、想定という名の甘さが整理・確認できたように思われた。

 次なる大災害に備えるための今回の調査研究事業では、災害マニュアルの策定が急務の課題であったが、汎用性のある防災マニュアルのレベルでは、東日本大震災前のハザードマップのように、不十分極まりないだけではなく、逆に地域のハザードマップがあの程度であったが故に油断を招き、尊い多くの命が犠牲になったことを考え合わせると、日常の介護業務を営む上で、少なくとも根拠のある介護を実践していく積み重ねが、非常時の判断の際に有効である。

 また、今回の調査で明らかになった視点として、介護職員の専門家たる姿を多々目にした。これまで「介護の専門性とは…」について、様々な視点から論議されてきたが、論議のための論議であったり、専門性を語れば語るほど学としての域に達していないことなどが判明したりと、介護職員たちのモチベーションを上げるための素材を、私も含めた研究者は提示できていなかったのではないかと思っている。

 今回の被災施設への聞き取り調査の中で、被災当日に実際に勤務していた職員が、利用者である高齢者の命と自らの命、そして同僚の命、なにを高い優先順位におき救助だけではなく自身の生存を図っていくのか、また諦めではない強い意志のもと、自分だけであれば逃げることができたであろう場面で、車椅子やベッドでの寝たきりのため救出できない利用者の傍を離れられなかった介護職員の生き様を他のスタッフから聞き取った際、介護現場で勤めるということの意味、想い、覚悟の断片が、泥と瓦礫に覆われた施設の中に散らばっているように思われた。
この散らばった断片の一つひとつを拾い上げ、形にするのも本調査研究事業の役割であった。

 他の職種、たとえば介護と同じようなサービス業の場面設定で考えた際、店員である彼らはそこにいるお客の命を自らの命を犠牲にしてまで守り抜いたであろうか。買い物に来ているお客は当然自分で避難できる能力のある者なので、単純な比較は慎むべきであるとは思うが、商品を購入してくれるお客を大事にする、という発想の業務と、介護保険制度がはじまった以上、提供される介護サービスは商品であるとの位置づけには異論がないものの、職員個々の個性が労働に大きく影響するこの介護の仕事との違い、つまり、想いや笑顔、心遣いや相手の喜びを通した業務との差は、歴然たるものだと私は感じた。

 ただ、介護や医療の現場では、自らの意思で行動できる者が少ない環境の中、介護職員らは命を預かっているという認識はあったとしても、自らの命を犠牲にしてまで相手の命を守るという認識までをも強要することはできない。
 現在も、生き残った介護職員らのやるせなさから退職が続いているのも事実である。「なぜ、自分だけが助かったのか…」「利用者を助けることはできなかったのだろうか…」という自責の念が、生き残った介護職員ならびに法人のトップまでをも苦しめている。

 さらに、福島県の原子力発電所近くで強制退去命令を受けた施設でも、質の異なるストレスを抱えている。
同じ「東北地方」とひとくくりにはできないほど、福島県の惨状は被害の実情だけではなく、復興のあり方にも他の被災県との違いは鮮明である。福島県内でも千人を超える尊い命が津波で流されているが、福島県内での高齢者施設の場合には、地震や津波の被害もさることながら、人災である放射能汚染の問題が、復興を難しくしている。

 福島県内の高齢者施設における被害の実情で最たるものは、放射能汚染による避難の問題である。要介護高齢者である利用者は、数十キロから数百キロ離れた場所に移さざるを得ず、時間でいってもある施設では6時間以上にわたる移動を強いられた。この時の移送手段は、要介護者を移動させるに適切なリフト付きバスのようなものではなく、多くは観光バスのような健常者の移動に利用する移送手段であった。

 また、そこで働く介護職員も、原子力発電所からさほど離れていない場所に居を構え日々の生活を営んできた者であるため、強制的に退去を言い渡され、今現在においても自宅に戻ることが許されない人々である。
言い換えるならば、働く場所もそして住まいも強制的に奪われた者たちである。
 その結果、原発周辺の施設で働いていた介護職員は解雇されるに至った状況にあり、職員の絶望だけではなく、雇用主であった法人経営者層の無念さも計り知れない思いがある。

 東北での介護現場でいうところの「人手不足」の問題も、復旧に向けた職員への対処の仕方や復興への目標が、原発近くにある施設とそうではない施設の場合とでは決定的に異なる部分である。

 あの大震災からちょうど一年後の2012年3月11日、多くの高齢者と職員が犠牲になった場所に立ち、倒壊したままの施設やすでに整地され跡形もなくなっているその場所で手を合わせた際、祭壇にあるお供え物をみて、生き残った介護職員の想いを深く感じることができた。

 缶コーヒーやペットボトルのお茶、利用者さんが好きだったと思われる菓子類が並べられているのであるが、すべて口が開いているのである。ヤクルトのヨーグルト製品であるジョアには丁寧にストローが差し込まれ、缶コーヒーはプルリングが押し込まれ、菓子類は個包されているものすべての封が開いているのである。
 お年寄りが皆、飲みやすく、そして食べやすいようにとの配慮からであろう。
 介護職員の心からの想いと、専門性を垣間見たような気がした。

 けれど、福島県の原子力発電所周辺にあった高齢者施設では、多くの職員や高齢者が亡くなっているものの、その場所で手を合わせることさえも許されない実情がある。国家命令による強制退去の悲惨さ、その後の迅速な対応の欠如からあふれ出る涙には、一年を経た今であっても、追悼や悲しみの涙だけではなく、苛立ちや怒りの意味も含んだ苦い涙を流していることだろう。

 今回の調査研究事業を遂行するにあたって、主に被災県から施設長や理事の方、約12名が委員会の構成メンバーとなり、現地調査でのオブザーバーとして、また調整会議に何度も足を運んで頂けた。委員の多くが被災している状況のなか、会議や調査の参加についても、「―それどころではない…」という環境が想像できるにもかかわらず、非常に活発な論議と示唆に富む指示等を頂くことができたことに敬意を表したい。また、本調査研究事業がここまでの完成度を維持できたのも、各委員の積極的な参加にくわえ、全国老人福祉施設協議会事務局員の卓越した事務処理能力によるところが大きい。

 おわりに、平穏な生活を最後まで送ることができなかった高齢者の方や、志し半ばで逝った介護職員たちの無念の涙、そして今なお厳しい環境下で、彼らの想いを引き継ごうとしている法人トップを含めたすべての介護スタッフたちの決意と支えによって、この報告書が上梓されたことを最後に記して筆をおきたい。
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